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2017.5.6.(土)金子みすゞ・金沢翔子展見学と 「虹の泉」という芸術の冒険 

2017.5.6.(土)

「金子みすゞ・金沢翔子展見学」 日本橋三越にて

金子みすゞ(テル) 1903~1930 童謡詩人
一人娘を残し、26歳という若さで亡くなった。
本屋さんに生まれ、本を沢山読まれた。
「身の回りにある小さなものに命を吹き込み、優しさあふれる詩を残した
童謡詩人・金子みすゞ。(この世に無用なものはない)という
彼女の深いまなざしは、多くのファンの心をとらえています」
遺品として、遺稿を含む5冊の手帳と、1枚の着物も、展示されてました。

金沢翔子(小蘭) 1985年生まれ 書家
「ダウン症というハンデを負いながら母・泰子に師事。大河ドラマ(平清盛)
題字の揮毫、ニューヨーク国連本部でのスピーチや個展の開催など、
その書は海外にも広がり、私たちに生きる勇気と優しさを与えてくれます」
特に10歳の時に半切4枚に書いた屏風の写経は、個性的で素晴らしいものでした。
それと、額作品「花」は、個性的などっしりとした幹に満開の花が咲いていました。

「本展では、みすゞの生涯と作品を紹介するとともに、
翔子の書家としての歩みと代表作、
さらに日々の生活の中で親しんだみすゞの詩のフレーズや象徴する文字を
揮毫した作品を展示し、ひびきあう詩と書の世界をっご覧いただきます。」

お二人の魂が見事に呼応し合う、素晴らしい展覧会でした。

「新聞余録に見る、(虹の泉)という芸術の冒険」

「{労働生産性}という言葉が使われるビジネスとは違う、
たったひとつの作品に30年以上かけた作家がいる」という。
東健次さんは「虹の泉」という作品に半生を捧げた人である。
「世界に類のない芸術の冒険」と注目されているという。
「虹の泉は人の良心への賛歌であり、この暗い時代の中を善良な魂を
失うことなく生きている人々に捧げる花束でありたいと願っています」と、
言葉を残されています。
「芸術作品に半生を捧げる」その意気込みで取り組んでいるだろうか、
私の心にも問いかけ再確認しよう。

 

2017.4.29.金澤翔子さん題字、新聞記事から 

2017.4.29.(土)
毎日新聞 20面 「ユニリポ」題字 金澤翔子さん

2020年 東京五輪・パラリンピックを控え、
企業のアスリート支援の動きが加速しているという。
毎日新聞において、「ユニバーサルスポーツ・リポート」を、
特集するようです。
それに伴い、障害者スポーツ特集面「ユニリポ」の題字を
新たに揮毫したダウン症の書家として知られる
金澤翔子さんの記事が目に入りました。
(元気とハッピーの気持ちを込め、パラアスリートに
頑張ってほしいとの思いで書きました)と話された。

私が、強く感動したのは、母親で書家の泰子さんの
「障害を持った我が子への将来を見据えた教育」にあります。
{泰子さんは、翔子さんには将来、障害者に寄り添う介護士として
自立することを希望している}
親子で、車いす生活を経験したり、リハビリ、介護の経験も持ち、
5月3~8日には、日本橋三越本店で
「金子みすゞ・金沢翔子展ーひびきあう詩と書ー」(毎日新聞社主催)が、
開催される。

なんて素敵なお母様でしょう!!

2017.4.1.(土)第2回 相田みつを 日本橋・春の特設展  

2017.4.1.(土)
書道研究温知会本部にて、お稽古と第52回高野山競書大会作品を提出しました。

I先生と日本橋にある 「一般財団法人 澄和(とわ)主催」相田みつを美術館特別協力
ギャラリー「309 collection」にて、開催の

第2回 相田みつを 日本橋・春の特別展を、拝見拝聴しました。

相田みつを氏 ご子息のギャラリートークでした。

相田みつをは、栃木県足利市に1924年大正13年生まれました。
1991年67歳まで、弟子を持たない、副業を持たない、筆一本で生きました。
昭和16年17歳で「イワサワケイセキ」に師事し、「書」で生きることを決意しました。
昭和20年21歳で終戦を迎えました。
昭和22年23歳でたくさんの賞を受けました。

[相田みつをの3つの柱]
① 20歳代は人の真似
中国の正統派古典といわれる王羲之や鄭道昭を中心に中国の古典を徹底的に学ぶ。
② 30歳から独特の言葉
「詩人 相田みつを」として、その時代に合った、(自分の言葉)を(自分の書)で、表現するために、
「5・7・5・7・7」のリズム感で表現する短歌を勉強し、歌人となる
③ 人間相田みつをの40年の座禅
18歳の頃、鎌倉 興福寺で「道元禅師」の流れをくむ「タケイテツロウ」に座禅を師事
「その時どう動く」から「人生はその時どう動く」は、40年の座禅から

1954年30歳から1984年60歳迄の30年間、「にんげんだもの」書き上げた
そこには、紙を買うお金もなく奥さんが作品を持って売り歩いてもなかなか買ってもらえなかったという。
ご子息は、「どうやって食べていたのだろう?」と、お話された。
世の中の芸術家は、裕福であると素晴らしい作品が制作できないものなのでしょうか?
現在インターネットで300%もの贋作が出回っているし。100人の鑑定依頼を受けると99点が贋作である。
(人間「相田みつを」は、3本の柱によって、誰にも真似の出来ない「相田みつを」を完成させた)は、私が講演で聴いたまとめです。

ここで、1996年7月5日 芸術新聞社発行 「墨」スペシャル表紙の写真を掲載したいと思います。
この本の中程には、10人の書家の似顔絵も載っています。

2017.3.5.(日)第32回守谷市美術作家展 最終日 そして搬出 そして反省会 

2017.2.25.(土)~3.5.(日)

第32回 守谷市美術作家展が、守谷市市民ギャラリーで開催され、今日が最終日です。15:00から搬出作業があり、その後反省会 そして来年に向けての話し合いが行われました。

今回も、「第32回守谷市美術作家展」に、沢山の方々にお越しいただきまして、ありがとうございました。次回、「第33回守谷市美術作家展」は、平成30年2月24日(土)~3月4日(日)の開催予定になります。

今回の問題点は、第32回守谷市美術作家展の実行委員長である高橋香石が.実行委員会を開いて守谷市に「要望書」を提出する事になりました。

2017.3.1.(水)第32回守谷市美術作家展 中日 

朝方は厳しい寒さでしたが、春らしい穏やかな光が差し込む昼頃、会場に行きました。

2月26日の「書道パフォーマンス」の日は、156名という沢山の方にお越しいただきまして、ありがとうございました。6人の個性あるパフォーマーの書がオカリナの繊細なバックミュージックと共に、皆様の心に響きました事を切に願っております。遠方からお越しいただいた方から、花束を頂きましたが、緊張感が解けて「私の心にもパッと華麗な花が咲きました」。

昨年と今年と2回に亘って、書道パフォーマンスを企画させていただきましたが、より「書道」に興味を持っていただけましたら嬉うございます。「第32回守谷市美術作家展」は、3月5日(日)15:00迄開催中です。是非、会場にお越しいただいて、本物の書に触れていただきたいと思います。

2017.2.26.(日)第32回守谷市美術作家展「書道パフォーマンス」 

2017.2.25.(土)~3.5.(日)

第32回 守谷市美術作家展が、守谷市市民ギャラリーで開催されてます。

2日目の26日に、2回目になる「書道パフォーマンス」しました。6人でパフォーマンスしました。今回は、バックミュージックに「オカリーナ風の音」の皆様が、オカリナ演奏をしてくださいました。

葉書の写真添付出来ないので、後でまとめて投稿します。

2017.1.13.(金)2年前の新聞記事から「一期一会」を考える 

2017.1.13.(金)2年前の新聞記事から「一期一会」を考えました。

2年前の2,015年1月13日(火)毎日新聞記事「千の証言」を見て驚いたこと。
その方と前年2014年12月5日地下鉄銀座線内で隣に座り、新聞記事の内容のお話を聞いたこと、偶然と言うには不思議な正に「一期一会」でありました。
その後、1年位してから、新聞で訃報の記事を見ました。

人生には、「一期一会」という、(巡り合うべき人に合っているのかもしれない)と、思ったのでした。
私の人生の中でも、自分の願い、希望があって、それから「出合い・機会」があって、取捨選択をしているような気がします。
年の始に、一瞬の運を掴み取る気構えで生きていきたいと思います。

2015.1.13.(火)「千の証言」記事のお方

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2015.1.13.(火)

以前、2014年12月5日のホームページ記事に、[乃木坂{日展}から上野{温知会書道展}まで向かう地下鉄銀座線の中で隣り合わせになった、92歳の方のお話を聞きました。(入院中の年下の奥様のお見舞いの帰りで、その方は、戦争で陸軍で南方に配属されたそうです。戦友が何人も靖国神社に眠っているそうです。戦争の話から今の政治の話まで、内容の濃いお話を聞きました。)]

1月13日の今日の新聞を見ていたら、27ページにその方の記事が(毎日新聞27ページの4分の1に顔写真入りで載っているではありませんか。)私は、びっくりしました。「千の証言者第1号ではありませんか」

「千の証言」は、戦争の記憶を活字や映像として残す毎日新聞社とTBSテレビの共同プロジェクトです。昨年8月にスタートし、全国から多数の投稿が寄せられています。戦後70年の節目である今年は、月に一度の特集面で証言を紹介し、専用ウェブサイトにも随時掲載していきます。引き続き、戦争を経験したご本人やご家族、ご遺族の証言を募集しています。テーマや応募方法はサイトをご覧ください。

記事の中で
「生と死は紙一重だった。道半ばで散った命を思えば、私の戦後の苦労など苦労ではない」
経営者として成功し、叙勲も受けたが、「まだまだ、と兄も仲間も言うでしょう」と厳しい。
「生かされた命を国や故郷にささげたい」そんな思いは今も消えない。

正しく、神様は私に「一期一会」の再会をプレゼントしてくれました。
92才とは思えない、素敵な紳士でした。

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