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2018.1.4.昨年の記事から「2016.12.28.守谷シティプロモーションの記事」 

2017,1,4.の記事より

新年あけましておめでとうございます。
守谷シティプロモーション様には、下記のような記事を掲載して頂きまして、ありがとうございました。
編集が素敵でとても感動しました。

高橋 香石さんが過去の思い出をシェアしました。
1年前

この日の思い出を見るchevron-right

第68回毎日書道展(主催・毎日新聞社、毎日書道会主催)で、守谷市在住の 高橋香石(たかはし こうせき)さん が栄誉ある毎日賞に入賞しました!

毎日書道展は本年68回目を迎える書道展で、公募、会友、役員あわせて33,000点を上まわる出品があり、内容、規模とも、日本最大級の書道展です。

本年度も、33,484点の中からたった200点の、約167倍の倍率という難関を突破しての受賞になります。
今回書かれた作品は『鶴舞春池月 鶯鳴碧樹風』という自然の美しさを詠んだ五言二句の漢詩。
高橋さんは過去にもスコットランドで個展を開催するなど、その活躍の場を海外にも広げていらっしゃいます。

この度は、毎日賞というすばらしい賞の受賞おめでとうございます!今後のご活躍にも期待しております!

また、高橋さんは平成29年2月25日(土)から3月5日(日)までの9日間にわたり開催される守谷市美術作家展において、2月26日(日)午後2時から書道パフォーマンスのイベントで展示に花を添えてくださる予定です。
ぜひご来場ください!

自動代替テキストはありません。

2016年7月.第68回毎日書道展「毎日賞作品」

画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる

2016年7月.第68回毎日書道展「毎日賞作品」

画像に含まれている可能性があるもの:1人、スマイル、室内

毎日新聞社記者の取材を受けて

2002年8月Scotlandで「書の個展 第1回展」開催

あなた、

川﨑恵子さん、樋口 景子さん、他34人

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曽我 真 シティプロモーションの写真はこちらですね。いい記事だと思います。

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23時間前

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2017.9.11.「自灯明」額作品 

「自灯(燈)明」「法灯明」 「じとうみょう」とも「ほうとうみょう」とも (仏)よく整えられた自らを拠り所とし正しい教えを拠り所とすること。涅槃経によれば釈迦入滅時の最後の教え。

 

2017.9.11.(月)額作品が届きました。と、お手紙をいただきました
力強く、気力が満ちている書体に、しばらく眺めていました。やはり、芸術品なのだと納得致しました。また、日本には漢字が相応しいと思いました。ありがとうございました。という内容でした。

ご依頼人は、某大学の教授です。
内容は、「急ぎません。教授室に「自灯明」の横70cm/縦30cm~40cm位の 額作品を(道標)として残したい。」と、いうものでした。

今年、4月4日(火)友人①から連絡を受け、その友人①の友人②の友人③の夫君であられる方から、書の額作品の依頼を受けました。
最初の友人①の方が4年前2013年6月23日(日)開催の{第53回茨城県母親大会in守谷}実行委員長をなさり、私に縦横の看板を頼みました。
真ん中の友人②の方は、私が看板を書いている時に、その場にいて書いているところを何人かで見ていたというのです。


そうして、友人③に伝わり、今回の額作品に繋がったということなのです。

このような機会を承りましたことに、心から感謝申し上げます。   香石

2017.7.23.(日)毎日書道展 入賞者表彰式、祝賀会 

2017.7.11(火)毎日新聞に
「現代の書」に挑む精鋭たちの未来図
という、特集が組まれました。

漢字2類 「暖氣歸楊柳 春聲亂乳鶯」

彫刻家 平櫛田中の言葉 「やってやれないことはない やらずにできるわけがない」を、「近代詩文書」で

表彰式が始まる少し前

ロンドン5輪女子柔道金メダル「松本薫さん」大字書部佳作賞で表彰式に参加

鑑賞ガイド 「文部科学大臣賞」「会員賞」作品

「現代の書」に挑む精鋭たちの未来図

毎日賞 秀作賞 佳作賞 U23毎日・新鋭・奨励賞

表彰式次第 賞状 秀作賞賞品


そして、7月12日(水)から8月6日(日)迄、
毎日書道展が開催されます。

7月23日(日)会場はザ・プリンスパークタワー東京で、開催されました。
13:00から表彰式が、地下2階「コンベンションホール」
15:30 から祝賀会が、地下2階「ボールルーム」で。
この中で、文部科学大臣賞を頂いた「辻元大雲」先生は、高校のクラスの教え子であった「松野博一 文部科学大臣」から、祝辞と文部科学大臣賞を授与されました。

同日、17:00からは、私の所属する「書道研究 温知会」の、
お祝いの会もご用意して頂きました。

2017.4.11.ミレーネさんお友達に軸装作品プレゼント 

「翔」ショウ・とぶ
羊+羽

「あけぼのの白き雨ふる木の芽かな」=日野草城作 明け方細かな雨が降り、うすあかりに白く見える。木々は一斉に緑の芽を吹いている。

2017.4.11.(火)

ミレーネさんが書いた作品の軸装が出来てきて、渡しました。
ミレーネさんは、ホンジャラスという国から日本に嫁いできてはや10何年。
私の教室で「書道」を勉強して約丸3年になります。
ミレーネさんのお友達に、アルゼンチンに住む両親が日本人の娘さんがいるそうなんです。
そのお友達が、日本に滞在し、アルゼンチンに帰国する日が近づいてきました。
「彼女にお土産を渡したいけど、何がいいかしら?」と聞かれましたので、私は「ミレーネさんの書いた書の作品を軸装して渡したら?」と、アドバイスしました。
ミレーネさんは、「私に書ける?」と言って、目がキラキラしてきました。
そこであまり大きいと、書くのも大変だし、持って帰るのも大変だから、「半紙半分サイズで、漢字と仮名の作品を書きましょうか?」と提案しました。
ミレーネさんも一生懸命取り組みました。
軸装の色も話し合いました。
出来てきた軸装作品を見て、「わあ~、これとっても素敵ね! これ私が書いたのよねー! 嬉しい!」と、大喜びでした。
お友達の所に郵送して、週末飛び立つ日の朝に届いたそうです。
お友達が「これミレーネさんが書いたの?とっても嬉しいわ!ありがとう、大切にして壁に掛けて見ます」と、とても喜んだそうです。
彼女たちの会話は多分「スペイン語でしょう」
そうです、ミレーネさんが書いた世界に一つだけの(友情)書作品です。
 

ミレーネさんの夢は。「書道のライセンスを取り、ホンジャラスで校長先生をしているお母さんの経営する学校で書道の指導をしたい」のだそうです。
2年前、「新年試筆会」にミレーネさんも参加しました。半切作品を書いて持っていき、批評を受けたのですが、「この作品は、上手な人には書けない素敵な感覚があります」と、いうものでした。ミレーネさんとその先生にお礼を伝えたくてお話に行くと「髙橋さんは、この人をきちんとものにしてあげなさい」と、おっしゃいました。私は、気が引き締まりました。

 

 

2017.5.6.(土)金子みすゞ・金沢翔子展見学と 「虹の泉」という芸術の冒険 

2017.5.6.(土)

「金子みすゞ・金沢翔子展見学」 日本橋三越にて

金子みすゞ(テル) 1903~1930 童謡詩人
一人娘を残し、26歳という若さで亡くなった。
本屋さんに生まれ、本を沢山読まれた。
「身の回りにある小さなものに命を吹き込み、優しさあふれる詩を残した
童謡詩人・金子みすゞ。(この世に無用なものはない)という
彼女の深いまなざしは、多くのファンの心をとらえています」
遺品として、遺稿を含む5冊の手帳と、1枚の着物も、展示されてました。

金沢翔子(小蘭) 1985年生まれ 書家
「ダウン症というハンデを負いながら母・泰子に師事。大河ドラマ(平清盛)
題字の揮毫、ニューヨーク国連本部でのスピーチや個展の開催など、
その書は海外にも広がり、私たちに生きる勇気と優しさを与えてくれます」
特に10歳の時に半切4枚に書いた屏風の写経は、個性的で素晴らしいものでした。
それと、額作品「花」は、個性的などっしりとした幹に満開の花が咲いていました。

「本展では、みすゞの生涯と作品を紹介するとともに、
翔子の書家としての歩みと代表作、
さらに日々の生活の中で親しんだみすゞの詩のフレーズや象徴する文字を
揮毫した作品を展示し、ひびきあう詩と書の世界をっご覧いただきます。」

お二人の魂が見事に呼応し合う、素晴らしい展覧会でした。

「新聞余録に見る、(虹の泉)という芸術の冒険」

「{労働生産性}という言葉が使われるビジネスとは違う、
たったひとつの作品に30年以上かけた作家がいる」という。
東健次さんは「虹の泉」という作品に半生を捧げた人である。
「世界に類のない芸術の冒険」と注目されているという。
「虹の泉は人の良心への賛歌であり、この暗い時代の中を善良な魂を
失うことなく生きている人々に捧げる花束でありたいと願っています」と、
言葉を残されています。
「芸術作品に半生を捧げる」その意気込みで取り組んでいるだろうか、
私の心にも問いかけ再確認しよう。

 

2017.4.1.(土)第2回 相田みつを 日本橋・春の特設展  

2017.4.1.(土)
書道研究温知会本部にて、お稽古と第52回高野山競書大会作品を提出しました。

I先生と日本橋にある 「一般財団法人 澄和(とわ)主催」相田みつを美術館特別協力
ギャラリー「309 collection」にて、開催の

第2回 相田みつを 日本橋・春の特別展を、拝見拝聴しました。

相田みつを氏 ご子息のギャラリートークでした。

相田みつをは、栃木県足利市に1924年大正13年生まれました。
1991年67歳まで、弟子を持たない、副業を持たない、筆一本で生きました。
昭和16年17歳で「イワサワケイセキ」に師事し、「書」で生きることを決意しました。
昭和20年21歳で終戦を迎えました。
昭和22年23歳でたくさんの賞を受けました。

[相田みつをの3つの柱]
① 20歳代は人の真似
中国の正統派古典といわれる王羲之や鄭道昭を中心に中国の古典を徹底的に学ぶ。
② 30歳から独特の言葉
「詩人 相田みつを」として、その時代に合った、(自分の言葉)を(自分の書)で、表現するために、
「5・7・5・7・7」のリズム感で表現する短歌を勉強し、歌人となる
③ 人間相田みつをの40年の座禅
18歳の頃、鎌倉 興福寺で「道元禅師」の流れをくむ「タケイテツロウ」に座禅を師事
「その時どう動く」から「人生はその時どう動く」は、40年の座禅から

1954年30歳から1984年60歳迄の30年間、「にんげんだもの」書き上げた
そこには、紙を買うお金もなく奥さんが作品を持って売り歩いてもなかなか買ってもらえなかったという。
ご子息は、「どうやって食べていたのだろう?」と、お話された。
世の中の芸術家は、裕福であると素晴らしい作品が制作できないものなのでしょうか?
現在インターネットで300%もの贋作が出回っているし。100人の鑑定依頼を受けると99点が贋作である。
(人間「相田みつを」は、3本の柱によって、誰にも真似の出来ない「相田みつを」を完成させた)は、私が講演で聴いたまとめです。

ここで、1996年7月5日 芸術新聞社発行 「墨」スペシャル表紙の写真を掲載したいと思います。
この本の中程には、10人の書家の似顔絵も載っています。

2017.3.5.(日)第32回守谷市美術作家展 最終日 そして搬出 そして反省会 

2017.2.25.(土)~3.5.(日)

第32回 守谷市美術作家展が、守谷市市民ギャラリーで開催され、今日が最終日です。15:00から搬出作業があり、その後反省会 そして来年に向けての話し合いが行われました。

今回も、「第32回守谷市美術作家展」に、沢山の方々にお越しいただきまして、ありがとうございました。次回、「第33回守谷市美術作家展」は、平成30年2月24日(土)~3月4日(日)の開催予定になります。

今回の問題点は、第32回守谷市美術作家展の実行委員長である高橋香石が.実行委員会を開いて守谷市に「要望書」を提出する事になりました。

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